Symposium at Hiroshima Society for Science of Arts

8月19日(土)の14:10~16:40に、広島県立美術館講堂で開催される、広島芸術学会主催のシンポジウム:「リ/フレーミング-美術における「フレーム」の再考」に登壇します。私は、「ホワイトキューブの母型・祖型」というタイトルで、自作《Cube with Eye(2018-)》の紹介とともに、ホワイトキューブの理念と場所性について読解を試みます。
会場となる同美術館で開催中の展覧会と併せて、ご来場をお待ちしています。

ウェブサイト:https://hirogei.hiroshima-u.ac.jp/news/696/

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[広島芸術学会 令和5年度総会・第37回大会 ]

3.シンポジウム:「リ/フレーミング-美術における「フレーム」の再考」

<趣旨>
新型コロナウイルスの流行開始から約3年半を迎える。現実の代替措置として始まったオンライン上の展覧会が今後も実施され続けるかはさておき、モニターというフレーム越しの鑑賞体験は、逆説的に作品そのものを鑑賞することへの関心も同時に高めたといえるかもしれない。
しかし、作品そのものとは何か。鑑賞行為には違った可能性があるのか。本シンポジウムでは、作品を鑑賞するうえで重要な要素であるフレーミング(=額装、枠組、構図…)について、コロナ禍を経た今日、改めて考える契機としたい。
ジャック・デリダは、『絵画における真理』の中で、作品が作品であることを枠づけ、作品を作品として屹立させているものこそが額縁だと述べた。しかし、例えば戦後の抽象表現主義はしばしば額縁を有さない巨大な作品によって空間そのものの変容を試みた。そうした考え方はホワイトキューブという展示空間そのものへの意識とも繋がるだろう。一方、日本国内においても掛軸や屏風におけるフレーム=表装は、画面の内部のみならず空間へと影響を及ぼしてきた。
「フレーミング」という行為を広く捉え直しながら、理論家・制作者それぞれが展示空間と作品との関係を再確認することで、新たな気づきと展望が得られる機会としたい。

<パネリストによる報告要旨>

星野太(東京大学)
本報告では、ジャック・デリダ(1930-2004)の『絵画における真理』(1978)を再読しながら、伝統的に「作品」に相当するエルゴン(ergon)と、その二次的な付随的──たとえば「額縁」──に相当するパレルゴン(parergon)の関係を問いなおすことを試みる。

船田奇岑(画家、美術表装鬼笙堂代表)
画家、表具師(美術表装)としての立場から、いくつかの機能――保護という実用的側面、心理的境界を作る結界、装飾の補完と環境との融合、生理的認識のための装置――としてフレームを捉え、自作の事例も交えて考察する。

大島徹也(多摩美術大学)
抽象表現主義絵画における「画面の枠」「額縁」(というより「額縁の除去」)「作品の大きさ」「絵画空間の変質」「観者や展示空間への作用」といった、「フレーム」ということをめぐる一連の問題を、ポロック、ロスコ、ニューマンなどを取り上げて考察する。

菅亮平(美術家、広島市立大学)
20世紀以降全世界のアートギャラリーで普及した「ホワイトキューブ」と呼ばれる展示室の様式・制度をめぐって、同テーマを主題とした自作の制作プロセスを参照しながら、その理念と場所性について「母型・祖型」というキーワードを手がかりに読解する。